チン毛はユーモラス

【第1回 美術を語る茶会】

開催地:トキハ別府店 7階

参加者:6名


(注)このレポートは数回の開催を経た後に書かれたものです。


時間は前後しますが今回は第1回の内容を書いてみようと思います。今までの記事もそうですが、それらはみんなの議論の「印象」を独断でまとめたもので、誰の発言であるかなど具体的な事は敢えて伏せています。いろいろ気をもむのが嫌だからです。ですので、第1回は個人の作品の説明がメインとなりましたが、これに関しても個人名や作品に関する具体的な事は伏せようと思います。


さて、第1回。


この回では、自らの陰毛を素材に作品を制作している男性作家の話が印象に残りました。彼曰く「自由なものとは何か」という自問からその作品は始まったそうです。

それは鳥だろうか、虫だろうか、それとも雲か。


いや、雲でさえもその行き先は風に決められてしまっている…果たして、果たして自由なものとは……


あ、いた。


と、いう事で今回の作品に陰毛が採用されたそうです。


こいつらは何処にでもいる。

大事な書類の中にも、初めて開いたノートにも、炊飯器の中さえも!

こいつは自由の王様だ。何にも縛られる事なく何処にでもいなかったりいたりする。


お前は自由の天使だ!


このように自由(陰毛)に関する熱い想いを語って下さいました。


その後、陰毛の議論は発展し「ところで自らの身体の一部も、体から離れた途端に印象も意味合いも一気に変わるよねえ」といった話になってきました。そしてそれらは一様に汚い印象を受けるということに気がつきました。ウンチを筆頭に耳垢、爪、痰、垢や皮などなど。体にくっついている時はあんなにチヤホヤされていた髪の毛でさえ抜けた途端にゴミ扱い、どころかゴミの代表格です。ゴミ扱いだけならまだしも例えば「女の長い髪」なんてちょっとオドロオドロしい雰囲気まで出てきちゃいます。「汚い」どころか「気持ち悪い」ですよ、ティモテ?ティモテ?なんてやってた頃にはあんなにチヤホヤされていたのに!


ところで体から生れ出たものは、本当に汚く気持ちの悪いものばかりなのでしょうか?自分から出てきたものが汚いものばかりって、なんかイヤです。


そこへ颯爽と登場したのが「陰毛」いや「チン毛」です。


「チン毛はユーモラス」


これが初回の茶会の発見でありました。


体から離れたもので唯一ユーモラスなもの、それがチン毛なのです。ウンチにも一定のユーモアが宿っているのは確かです。しかしそれは絵だったり、オモチャだったり主に実物でない場合に限ります。実物になると汚さが圧倒的優位を占めてしまう、つまりウンチのユーモアは観念上のものと言えるでしょう。その点チン毛は多少の汚さはあるとは言え、ウンチの比ではありません。髪の毛のようなオドロオドロしさもないし、あるのはむしろ可笑しさです。


それは男の性器にまつわる滑稽さに由来しているのでしょうか。あんなに大切なものなのに、ちょっとした事でも大ダメージを喰らうものなのに、ぶらんぶらん、ぶらんぶらん。なんなんでしょう、あの呑気さ阿保らしさ。男のエロスの最大の見せ場であるはずが、あの緊張感の無さ。そういう事をチン毛は思い起こさせるのでしょうか?それともあのチジレが原因なのでしょうか?


真相は謎です。


しかしさらに言わせてもらうならば、チン毛にはユーモラスという言葉では片付けきれない何かがある事も確かです。


それは可笑しさの中に隠された男の悲哀です。


唐突に感じるかもしれませんが、それは確かに存在します。

自由がゆえの孤独、滑稽がゆえの哀しみ。


滑稽さを内包する男性器が男の馬鹿さ加減を象徴するものであるならば、そこには、それでも何かを追い求め続けるしかない男の悲しみが宿っていると言えるのではないでしょうか。

チン毛もまたその十字架を背負う悲しき道化師なのです。


男の悲哀と可笑しみ。

苦しくとも悲しくともそっと耐え道化を装う不器用なチン毛…


チン毛は俺だぁ!!

この茶会に居合わせた男たちの悲痛な叫びが聞こえてくるようでした(ウソ)。

吉永ジェンダー

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