楽しさについて

【第6回 美術を語る茶会】


開催地:トキハ別府店 7階

参加者:2名


今回の茶会は「楽しさについて」という話が出てきました。我々はどのような事に楽しさを感じるのでしょうか?


楽しさには、美味しいものを食べる、ディズニーランドへ行くなどの準備された楽しさと、制作活動や冒険など、自ら創り出す楽しさの2種類があると思われます。制作活動を自らの楽しみと出来るのは素晴らしい事です。


しかし、「制作ってマジ楽しいよねーウッヒョー!」


ってのは何か違う様な気がします。


以前、別府のライブハウスの辛口女主人の面白い話を又聞しました。


「音楽で自分のストレスを発散させる奴の演奏を聴くと、こっちにストレスが溜まる」


なかなかの名言だと思います。


このような事は美術の現場にも多々ある事ですが、特にライブペイントなどによく見受けられるように思います。


気持ち良さそうに揺れながら、ビール片手になんかを描いている。あるいは複数人で、何かに取り憑かれたようになんかを描き殴っている。そしてそこには必ず音楽が流れていて、いつ終わるのだか分からない、何を見れば良いのか分からない不毛な時間が過ぎていくのです。そしてどうにか最後まで見終わると、一応完成とされた作品もクオリティーが低く、特に起承転結のような見せ方の工夫もしてないため、何のためにライブで描かれたのか全く分からない、「?????!」という結果が待ち受けているのです。


なぜこのような事が起こるのか?


それはもともとの美術が音楽などと違い、発表時に快感を伴う事がほとんど無い事が原因だと思われます。音楽の発表には演奏というライブがあります。それは快感を伴うものでありますが、例えば美術の個展などにはそれがありません。私見ですが、そこで発明されたのがライブペイントではないかと推測します。チマチマと制作してきたストレスを、オープニングで発散したい!なんか暴れてハッチャケたい!そういう欲求だけが見て取れるライブペイントが多いと思うからです。


もちろんライブペイントだけでなく、アトリエで制作された作品にも同じような感想を抱くものがあります。それらは一様に自分の楽しさ気持ち良さだけを追い求め、「見せる」という事を忘れているのだと思います。


快感だけを追い求める楽しさには限界があります。そしてそれは見る人にストレスを与えるものになりかねないものです。


やはり、より高いステージを目指し苦労を重ねる中に、本当の楽しさや喜びが見え隠れするものなのでしょう。それはすぐにどっかへ行ってしまうかもしれませんが、自分の制作活動については、しみじみと「……楽しいよ」と言えるようになりたいです。


<お詫び>

全くの偏見でライブペイントについて書きましたが、そうでないものも沢山あります。素晴らしいものもぼくは何度も見ています。

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