美術とトラウマ

【第11回 美術を語る茶会】


開催地:トキハ別府店 7階

参加者:4名


本格的に美術を学び始める理由というのは人それぞれです。しかし大抵の人は子供の頃から絵が上手くて好きだったという場合が多く、より上手くなりたいというシンプルな理由が一番多いのではないでしょうか。


しかし今回は、現在「美学校」で美術を学ぶ、かつて絵が苦手だった(今どうなのかは未確認)女性のお話です。彼女はただ単に絵がヘタクソだったというだけでなく、絵に関するトラウマまで持っています。


彼女が小学四・五年生の頃、チャボを描くという図工の授業がありました。絵が苦手だった彼女はどう描いてよいのか全く分からず、隣の上手い子の絵をコッソリ色から何から全部丸写しにします。絵が描き終わり集められた作品は、一枚ずつ紙芝居のようにして先生が講評をしたそうです。彼女の不幸は出席番号に有りました。彼女が写した絵の上手い子は、彼女の一個前。つまりその子の講評が終わった直後に、彼女の絵がクラス全員に披露されてしまったのです。


彼女が絵を丸写しにしたのは一目瞭然、誰の目にも明らかです。彼女曰く「あの時怒られればまだ良かった…」。その時彼女は先生に、なんと「気を使われた」のです!


「……あぁぁと、…えぇぇと、この辺の色とか?いいですねぇ……んんーあと、あと、あとは…」


彼女よりできの良い全く同じ絵の講評の直後です。言う事なんか残っている訳ありません。先生にも同情しますが、もちろん一番は彼女です。クラス全員の前で彼女は気を使われました。むしろクラス全員が気を使ったと言っても良いでしょう。誰一人、彼女の絵に茶々を入れる子はいなかったそうです。最近の子は大人ですね。しかし彼女の胸はギュウギュウに締め付けられ、その負荷は大人になった今でもかかり続けているようです。


その後も彼女には様々なトラウマが襲いかかったようですが、それはあまり美術とは関係が無いようなので聞きませんでした。しかしそれらのトラウマは彼女を孤独の人とさせました。


一人が好き。


大人になった彼女は逃げるように海外へ飛び出します。彼女曰く、旅などと言うようなカッコいいものではなく、旅行などと言う楽しいものでもない。何だか暗い逃避行だったようです。


そのような事を繰り返すうち、彼女は旅先でとある人物に出会います。詳しい事は省きますが、美学校の講師をするその人物がキッカケとなり、帰国後そもそも美術の苦手な彼女が美術の専門学校である美学校に通う事となるのです。


「美学校のパンフレットを読めば読むほど美術の事しか書いていなくて、本当に迷いました」って当たり前です。美術の学校なんだから!


そして今、彼女はその人物の講座をとる美学校の生徒です。その流れで別府にも来ているのです。今回は作品をつくりませんが、今秋に初めての作品を制作する予定だそうです。


ここからは私見ですが、この一連の流れを聞く限り、彼女は一般的に言うような自己表現のための美術でなく、自分の何かを変えるため、克服するために美術を勉強し始めた様に感じました。美術セラピーという言葉はありませんが、そんな感じです。


そのようなタイプの人に会うのは初めてで、どちらかと言えば美術に対して硬派なぼくは、何か違和感というか、一般的な美術を勉強する動機に比べて不純というか軟弱というか、そんな印象を受けました。ボクシングジムにダイエット目的で通うようなイメージです。しかし彼女の別府での真面目で真摯な活動を思い、すぐに考えを改めました。


それは、ボクシングジムにおいても真剣にダイエットに取り組み、それを成功させる事は立派な事ではないのか、と言うことです。ジムの主たる目的は「強い選手を育てる」ことです。なのでぼくは「強くなる」という意思を持たない人は、ジムにおいては不純で軟弱な存在なのではないかと考えました。しかし真剣にプロの選手を目指す覚悟もなく、ダラダラと惰性でジムに通い、漠然と「強くなりてぇ〜」とだけ思っている人間と、しっかりとした意思を持ち、真面目にダイエットという目的を達成させる人間のどちらが立派だろうか、どちらがボクシングに何かの意義を見出せるのだろうか、という思いを持ちました。


今回自分は美術に関して、かなりガチガチの作家志向の一面的な捉え方しかしていなかった事に気づかされました。彼女には美術の勉強を通して何かを得られる事を願ってやみません。


美術にも色々な側面があるようです。

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