美術をやめるということ

【第25回 美術を語る茶会】


開催地:自宅

参加者:4名


今回は、長く油絵を描き続けている女性作家の「最近絵をやめようと思っている」という話が印象に残りました。きちんとしたギャラリーに所属し定期的に個展も開いている彼女が、なぜ絵をやめるのか、その理由を話してくれました。


写実的な作風の彼女はとても絵がうまく、その絵を見れば誰もがもっと続ければいいのにという気持ちになり、なぜやめるのかという疑問を持ちます。そんな疑問に彼女はこう答えました。


「私は絵がうまいだけだった」


これには少し驚きました。絵を描くだけなら才能はあると思うけど作家活動をする才能がまるでなかった、と言うのです。そして、学生の頃から発表することは不自然と感じつつも、そうしない訳にもいかず仕方なく発表していた、しかし最近だんだん発表しなくてもいいかも、という気持ちになってきたと言うのです。


美術を前に進めなければいけない!という勝手な義務感に疲れたのも原因の一つだということで、この茶会の様な小さなコミュニティで、「見て見て!」と絵を見せるくらいの狭さが、自分の責任の取れる範囲なんだと感じてきたとも言っていました。それが自分の把握できる範囲であり、それくらいの実感で何かものをやりたい、日本の美術のために!とかではなく、とのことでした。


それからもう一つ、彼女はギャラリーとの付き合いや絵の売買に関わることで、本来の制作の目的を見失ってしまい、自分が何をやっているのか分からなくなってしまったようなのです。


コマーシャルギャラリーで発表する以上はその作品を売らなければいけませんが、芸術の本質は売買とは関係がありません。売買のことだけを考えれば作品はつまらないものになるのは当り前です。しかしギャラリーとの付き合いをする以上はある程度そのことも考えなければいけません。そこに折り合いを付けるのは「作家活動」をする為の必要条件のひとつなのかも知れませんが、芸術に対して純粋で、少々融通のきかない彼女にはそれがうまく出来なかったようなのです。絵を沢山の人に見せるのが難しくなってきた、そう彼女は言っていました。


さて、作家活動とはなんなのでしょうか。


どうやら、ただ良い作品を制作するだけでは作家活動をしていけるとは限らないようです。自分の作品をプレゼンする能力や発表の場を確保する能力が必要なのはもちろんのこと、ある程度の妥協とそれに納得し引きずらない力も必要なようです。彼女の場合そのジレンマに疲れ、美術をやめる決意をしました。ある意味で真面目過ぎたのだと思います。


「自分は何も出来ないけれど、作家活動は好きですね」


そんな中、参加者の一人からこんな発言がありました。その彼は30歳を越えた最近になり美術を始めましたが、特に専門的な美術の技術は持たずに精力的に活動をしています。作家活動に制作がついてくるタイプで、制作は好きだけど嫌々作家活動をしていた彼女とはまるで反対のタイプです。しかしそういう人が成功している気がするなあ、という話になり、プロダクトが強い会社より営業が強い会社の方が儲かりますからね、なんて話も出ました。


美術の場合、単純にプロダクトと営業という分け方はできませんが、似たような状況にあるのは確かです。とかく純粋に美術を信じる作家はプロダクト重視になりがちですが、営業ももちろん大事。この二つのバランスが保てて初めて「作家活動」が成立するのだなあと今回はつくづく感じました。


余談ですが、自分は彼女が絵をやめることを実は茶会の前から知っていました。初めてその話を聞いたとき、彼女はさわやかにこう言っていました。


「いやー、これから絵を本格的にやめるわ!」


もちろんビックリした反面、極端な考え方をする人はやめるときもこういう発言をするのかぁと妙に感心しました。「本格的に始めるわ!」という人は何度か見たことがありますが、こんなの初めて聞きました。本格的にやっていたからこそ、本格的にやめる必要があるのでしょう。


しかし今は、絵筆を折るというより、もっと自然に「あ、これじゃなくてもいいのかも」という感じになっている途中なのだそうです。


新しいことも始めたという彼女。

がんばって欲しいです。

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