概念を言葉にする
【第26回 美術を語る茶会】
開催地:自宅
参加者:3名
今回のレポートは手前味噌な話になってしまいそうです。
というのも、今回は若い女性のライターさんが参加してくれたのですが、彼女から「ジェンダーさんは概念を言語化する力をどうやって身につけたんですか?」という質問を受け、それについてその後いろいろ考えたことを書いてみようと思っているからです。
その質問はぼくにとっては意外でした。言葉を生業にしている人をぼくはとても尊敬していて、知性への憧れというか、自分もそうやって自由に言葉を使えるようになりたいと思っているので、それを職業としている方から、言葉について褒められるのは、うれしくもあり戸惑いを感じるものでもありました。
その場ではコンセプチャルアートの話をし、自分のフィールドでの考え方を伝えたのですが、後々それは自分の中で気になる事として残りました。
果たしてぼくにそんな力があるのだろうか?
そんな風に考えを巡らしていましたが、よく考えてみれば、ぼくも若い頃、美術作品の解説はもちろんのこと、詩や映画の解説などを読み、作品に対する解釈ができる人を極端に尊敬していたことを思い出しました。「どうしてこんな事がわかるんだろう?やっぱり頭の作りがちがうのかな?」なんてことを思っていましたが、どういう訳だか最近は、ぼくも少しこの解釈というものが出来るようになってきたようです。
実感として一番わかりやすかったのは詩です。昔はさっぱりわからなかった詩の意味が、スっとわかることが多くなってきました。(もちろん今でもさっぱりわからないものも沢山ありますが)昔から気になっていたものを、例えば10年ぶりに読み返したとき、作者の言いたいことが手に取るようにわかり、自分でも驚くことがあります。
さては彼女の言っていた「概念を言語化する力」ってのはこの力のことか? 少しづつ何かが見えてきました。もしこれが彼女の言っていたその「力」なのだとすれば、確実な答えが一つあります。
それは経験です。
非常にありふれていますが、ぼくの場合はこれが全てだと思います。
例えばひとつの作品においてある概念が表現されていたとします。それが漠然としていて言葉に置き換えるのが難しいものであるとしても、人生の色々な経験積むことで、その漠然と感じる概念を具体的な自分の経験に当てはめて解釈することができます。それができれば、それを言葉にすることは比較的容易です。これが恐らく彼女の言う「概念を言語化する力」なのだと思いますが、これには前提として、まず漠然とした状態でその概念を感じとる必要があります。それが出来なければいくら経験があっても、それを当てはめる先がないからです。しかし言語化されたものを見て納得がいくというのならば、既にそれはその概念を感じているということになります。
だから決して言語化できないからといって概念そのものを理解していない訳ではないのです。そのことはもちろん彼女も理解していることとは思いますが、あえて言うなら「概念を言語化する力」は整理をする力であって、特別にクリエイティブなものではないということです。ぼくも若い頃はこの力に憧れていましたが、これは歳と共に自然と身につくもののようです。
なので若い時には今できること、つまり整理することよりも生み出すことに力を注いで欲しいと思います。全てではありませんが、若い時にしか出来ない事があります。
繰り返しになりますが、誰かが言葉で回収したものに納得し、その能力に憧れる気持ちはわかります。しかしその回収された言葉を理解できるという事は、その概念そのものは理解しているということだから、本質的には両者は同じだと思います。
なので今はとりあえずどんどん生み出すことが大切だと思います。自分が何を表現しているのかハッキリとわからなくて不安であっても、自分を信じてたくさん作品をつくっていけば、いずれ必ず自分が何をやっていたのかがわかります。それから少しづつ整理していけばいいんです。作品はあればあるほど後々整理のしがいがあるってもんだと思います。
今回はなんだか説教みたいなレポートになってしまいました。偉そうに若い若いと書きましたが、ぼくだってまだ十分若いのです。生み出す力をもっと鍛えたいです!
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